こんにちは、高田です。
ここ数日、寒くて寒くて、セーター3枚重ね着しているんですが(笑)、やっぱり風邪引いてしまい、まったく頭が働きません(苦笑)。
経営者って、ゼネラリストだなーと思うんですが、これは突っ込んで考えると、「ゼネラリストのスペシャリストになる」ってことかもしれません。
ゼネラリストってけっこう誤解されがちで。
たとえば、1日○分で月収○○円稼ぐ!とか、これは僕も言っていますが、ウソってわけじゃないんですよ。
たしかに、「作業ベース」では1日○分で抑えたほうがベターなんです。
というのも、「金持ち父さん」の中でも例として出てきていますが、自動車王のヘンリー・フォードの例ですね。
ヘンリー・フォードの知識の少なさ(スペシャリストとしての)を誰かがわーわーと突き上げたとき、フォードはひとつひとつの質問に、自分が抱えているスペシャリストへ電話をかけて回答したと。
で、「俺の仕事は「考えるってことなんだ」。誰もがやりたくないことをやっている」とか答えたとか、逸話が残っています。
「考える」って傍目から目に見えるもんじゃないから、なにやらサボってるように見えるのかもしれません。
あるいは、別の例で、音楽でいえば、「指揮者」ですかね。
あれ、「指揮者なんて、別にいらねーんじゃないの?」って実はこっそり考えている人が多いんじゃないかと思います(笑)。
まあ…本番では、指揮者がいなくても、一流のオケなら何とかなるかもしれませんね。
ただ、その曲をどのように解釈するか、そしてその解釈の上に、各楽器パート(スペシャリスト)をどのように秩序付けていくか、というところに仕事があるわけです。
本番以前の仕事。なので、これも聴衆にとって目に見えないものだから、誤解されやすい。
さらに、身近なところでいえば、政治家ですかね。
誰が政治家になっても、めっちゃ批判される。
これはよく考えてみれば不思議なことで。
たとえば、かかりつけの外科医にクレームをつけることってあまりないと思うんですよ。「その縫合の仕方は間違っちょる!」とか。
これは専門技術(スペシャリスト)に対する敬意だと思うんですね。
ところが、政治っていくつかの案件を抱えていながら、最後に総合的に判断を下して実施する、という意味でジェネラリストなんです。
だから、「誰がなっても一緒じゃねーの?」って批判されやすい。

しかし、「ジェネラリストのスペシャリスト」って考えると、彼らは膨大な情報の中で分析し、判断しているわけです。
去年の安保法案でも感じましたが。
戦争反対!→安保法案は戦闘行為を行使できる範囲を広げる →だから反対 →そんなことが分からない安倍総理はバカである
って流れがあって、もうグラビアアイドルから何までコメントを入れると。
いやでもね、そんなシンプルな論理で政治は動いているわけじゃなくて、安保法案にしても、それはそれで高度にスペシャルな案件だと思うんです。
歴史的に見ても、「平和主義がかえって戦争を呼び込むことがある」ケースが多いわけで、単純に「戦争反対!」を叫ぶことによって、かえって戦争を呼び込んでしまうこともある。
それはやはり、現実問題として、バランスオブパワーのなかで判断していかなきゃならないわけですよ。
「反対!」というなら、「では、中国や北朝鮮の脅威に対して具体的にあなたならどのような手を打ちますか」ってことに答えられなければいけませんね。
というわけで、ここでもジェネラリストに対する偏見が関わっているのかなーと感じたわけです。
あ。すごく脱線したかも??
経営の話に戻すと。
「ゼネラルであることに徹する」って意外に大変で、けっこう誤解されやすい。
社長も現場で毎日働くべき!!と思う人も多いでしょうし、日本人は特にそういう考えに傾きやすいでしょうね。
ただ、ゼネラリストに徹することで、スペシャリストの働き場所、雇用を創出・確保してる面も考えたほうがいいと思うわけです。
結論としては、最初に書いた、「ゼネラリストのスペシャリスト」、ですかね。自分もココを目指したいと思っております。ハイ。