戦国大名の旗印にみる、目標とビジョンの違い

 

目標をもって頑張っているのに、
なかなか実現に向かって進まない…、
ということ、よくありますよね。

そうした場合、実は、目標とビジョンが一致していない
ケースがあるんじゃあないかと、ふと戦国大名の
旗印をチェック(暇だな)していて思いました。

4人の旗印を挙げてみましょう。

  • 信長…天下布武
  • 家康…欣求浄土・厭離穢土
  • 信玄…風林火山
  • 謙信…毘沙門天

信長は戦争にめっちゃ強かったかというと
そうでもないところがあります。

隣国の美濃攻めに10年もかかったりしてますし。

ただ、旗印に「天下布武」とあるように、
武をもって天下統一をする、というビジョンは
ずっと離さずに持っていたんじゃないかと考えられます。
常に、「京を制したものが勝ち」ということでブレていませんからね。

武田信玄は、「風林火山」。

孫子の兵法からの引用ですね。
「疾きこと風の如し…〜」という。

これは、「戦争に強くありたい」
ってことだと思います。

現に信玄は強かった。
若くて血気盛んなころの家康も、信玄に挑んで
一蹴されています(三方ヶ原の戦い)。

が。これはあくまで戦闘行為に強いっていう
ビジョンだったのかもしれません。

表面意識はどうであれ、ビジョンとして、
天下統一を第一に掲げていたか、
というと疑問が残ります。

さて、上杉謙信は、「毘沙門天」……。

意味不明です。笑

いや、わかるんですが、
要は、仏法護持→義を示す、
ということなんでしょうな。

関東管領に任命されて大喜びで
関東の北条氏を討ちにいってますが、
京とは方角が違うでしょう、
(ただし、上杉家の正式な後継者としての地位を
固めるという意義はある)
と思われるところがあります。

しかし、戦国の世にあって、あくまで義を
示す、という意味では、毘沙門天の旗印どおりの
人生だったのでしょう。

家康は、「欣求浄土・厭離穢土」。
まあこれは…信心深かったというより、
現実主義者の家康のことなので、
戦国の世を平和な世にする、というビジョンでは
ないかと思われます。

そして、このビジョン通りに徳川260年のウルトラ
安定政権を築くわけです。

安定政権過ぎて、江戸時代は、
少なくとも科学技術的には、西欧列強に遅れをとりました。

そして、維新の元勲たちが、幕末〜明治にかけて、
大変な苦労をしなければいけなかった、
っていうのはあるかもしれません。

まあそれはさておき。

そう考えると、4人が4人ともビジョン通りの人生を送ったのだ、
と納得できます。

ただここで、表面意識(目標)が、「天下統一」だった
場合、心残りになる場合もあるでしょう。

ゆえに、ビジョンを意識化して、それに基づいて
目標を定めるって大事なんだなあ、とあらためて
思った次第です。

 

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